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公立学校共済組合 関東中央病院

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病気のはなし

職業人の「うつ病」と生活リズム「うつ病」による行動の「遅れ」について

副院長・メンタルヘルス科部長 松浪 克文

(1)「うつ病」による行動の「遅れ」について

 職業人の「うつ病」では、「変に憂鬱だ」とか「妙にやる気が出ない」などの気分や意欲の変調があらわれる前に、行動面の些細な変化が進行していて、それを本人が気づいていないということがよくあります。典型的には、「このごろ、机の上が雑然としている」「会議の資料などをよく紛失する」「これまでしたことのないような、凡ミスをする」「出勤後すぐには仕事にとり掛かれない」「2時間も仕事をすると疲れが出て根気が続かない」…のような微妙な仕事ぶりの変化です。このような変化は「よくあること」ではありますが、時に、密かに始まっている「うつ病」の症状のために引き起こされているケースがあります。その場合には、この変化の本質は行動や感情などの身心の動きが「遅くなる」ということにあり、精神医学的に「制止」と言われる症状です。「うつ病」性の変化が起こると、この「遅れ」は、職場での働きぶりだけでなく、なんら緊張を伴わないような日常の基礎的行動(話す、書く、歩く、着替える、入浴、洗顔…)にまで及び、生活リズムが乱れがちになります。この段階で精神科を受診する方は多くはありません。もちろん、顕在発症しますと、抑うつ気分や意欲減退とともに、睡眠、食欲などの基本的な欲望も目だって低下しますので、生活リズムは完全に乱れてしまい、まず家人が、そして職場の周囲の人間がなんらかの変調を気づくことになります。注意していただきたいのは、「集中できないから」あるいは「やる気が出ないから」仕事が遅れたのだ、という理解では、原因と結果が逆だという点です。つまり、そもそもの始まりの仕事ぶりのレベルでの「遅れ」が出た時点で潜在発症しているということです。

(2)生活リズムと「遊び的行動」

 「うつ病」の治療を始めるときの基本方針は、まずは職業的なパフォーマンスの向上を目指さずに、日常の生活行動のレベルで快適な行動のリズムを取り戻すことを直近の治療目標にすることです。この課題を具体的に達成していく中で、「遅れ」という症状は次第に解消していきます。 ところで、人間の生活リズムに関して、そもそも人間の生理的変化が一日約25時間で周期するということはあまり知られていません。この「生理学的な事情」のために、われわれは日常生活の行動について、なにごとも「まだ早い」と感じてしまいます。それが生理的に自然なのです。ごく健康な人でも、昼食のときに「もうお昼か、お腹すいていないなー」と感じることも、就寝の時刻になって「もう寝る時間か。まだ眠くないけどな…」と感じることも、そのように感じるのが生理的に自然なことなのです。しかし、現実には、ほとんどの方が「まだ早い」を感じてはいても、ほぼ定刻に相応の生活行動をとっておられると思います。これが可能なのは、われわれの生活習慣・生活様式と、われわれの健康な生理的欲望のおかげです。われわれはみな、朝食、昼食、夕食時にそれぞれに特有の雰囲気、状況を形成しており、そのような文化的、社会的な様式のなかで食欲という欲望の成就を促されているので、「まだ早い」と感じながらもその時刻に合った生活行動を難なくこなせるのです。定刻に昼食をとるのは、同僚が誘ってくれたり、お昼のチャイムが鳴って周りが昼休みの雰囲気になることや、会話の楽しみにし、食事がおいしいからです。決まった時間に床に就くのは、いつもの深夜テレビ番組が終わると「もう寝るんだ」という雰囲気になり、寝るための支度をする習慣があり、眠ることの快適さ、安心感を求めるからです。一日の折々の時間帯に合わせた習慣的行動の様式がその時間帯にするべき行動とそれに対する欲望を構成し、その成就を促してくれているのです。このような行動様式は文化的に、歴史的に、個人史を通じて形成されてきたもの、すなわち人生を通じて陶冶されてきたものですが、「うつ病」になるとこのようなリズムを促す文化的行動様式のシステムが失われてしまいます。

 この意味で、生活リズムの回復、維持はうつ病が治癒するために不可欠な要件といえるでしょう。ただし、単に決まった時刻に食事や睡眠をとっているというだけでは十分ではありません。規則的な繰り返し行動は「周期」であって「リズム」とはいえないからです。リズムの体験は「周期」に「欲望の成就」すなわち「快適さ」が付け加わってこそ可能になります。つまり、なんらかの快適な行動を求める気持ちがあり、それが期待通りに定刻に訪れ、それを満喫すること、さらに、その満喫が次の快適な生活行動を準備し、期待する心の状態を形作るという推進力となる、という循環運動がなければ「リズム」を体験できません。「リズム」感を持って生活するためには、定刻に予定していた、期待通りの願望充足に到達するという満足がなくてはなりません。この意味で、食事や睡眠が快適であることは生活リズムを形成するために必須であり、まず睡眠障害や食欲不振などの症状が解消されなくてはうつ病が治癒することはありません。

 しかし、快適な生活の「リズム」は食事や睡眠だけで形作られるものではありません。本来は、食事、睡眠以外にも一日の様々な楽しみがあって、それらが「欲望の成就」への期待が行動を推進してなければならないからです。また、生活のリズムは一日単位のことだけを言うのではありません。一週間単位、1か月単位、四季、一年単位に、われわれは出来事の移り変わりをなんらかの周期で捕らえていますから、これらの周期性についてもその変化に付随した楽しみを追い求める、楽しみにするという心理が必要です。とくに季節性の変化に後れをとる傾向のある、うつ病準備性の高い人にはこのことは重要です。

 私は生活にリズム感を生み出すことを可能にする人間の行動を(趣味という言葉ではなく)「遊び的行動」と名づけて、生活リズムの復活には「遊び」が必要であることを折に触れて説明するようにしています。日常生活のルーティーンの行動や職業的行動とは性質の異なる行動に楽しみを見出し、一日、一週、一か月、一年の行動スケジュールの中に組み込むことが必要です。

 そして、「遊び的行動」を見出すためには、「ふだんとは違う筋肉を使う」という発想で、仕事をしている時とはまるで違った気持ちになるような活動領域を探し出すように、と助言しています。ごく短時間の些細な楽しみでよいのですが、「遊び的行動」を予定していてそれを楽しみにする、という生活感をデザインすることが必要なのです。

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