病気のはなし
適応障害について
前回、精神科診断にみられる流行のおはなしの最後に、この十数年で増えた印象がある「適応障害」に触れましたが、今回はその適応障害のおはなしです。厚生労働省の患者調査によれば、適応障害の患者数は2008年(約4.1万人)と比較すると2017年(約10.1万人)は2.5倍と大幅に増加しています。同期間に約1.3倍となった気分障害(うつ病・双極性感情障害など)や、ほぼ横ばいであった統合失調症などと比べても際立っています。適応障害は当科においても、最もよくみられるメンタルヘルス不調であり、通院中の方の約3割を占めています。さらに職業人に限れば、その割合は約7割となります。さて、ではまず、適応障害がどのようなものなのかを見ていきましょう。
適応障害とは、何らかの心理社会的なストレス状況に対する心身の反応が、個人の許容範囲(耐性の限界)を超えて現れるメンタルヘルス不調です。異動や転勤などによる職場の環境変化、人間関係の悪化、転居や結婚、離婚などによる生活環境の変化、がんや心疾患(心臓病)、神経難病などの深刻な身体疾患の発病、などのような様々なライフイベントがきっかけとなることがあります。ストレス因が一つとは限りませんが、明らかなストレス因が認められ、かつ症状により社会生活や日常生活に著しい支障をきたしている場合に適応障害と診断されます。しかしながら、統合失調症や双極性感情障害(躁うつ病)などの診断がつく(除外診断ができない)場合には、通常、適応障害とは診断されません。
つぎに症状についてです。適応障害には特有の症状はなく、個人差がありますが、以下のような様々な症状が認められます。
精神面 | 不安、気分の落ち込み、情緒不安定、イライラ、意欲低下など |
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身体面 | 不眠、食欲低下、吐き気、動悸、めまい、腹痛、頭痛など |
行動面 | 遅刻、欠勤、口数が減る、暴言、仕事の能率低下など |
悩みや不安を抱えて苦しい状態が続くため、なかにはアルコールやギャンブルへの依存、乱費、性的逸脱などの問題行動を認めるケースもあります。
また、身体症状を苦にして当科より先に内科を受診する方が少なくないですが、動悸、腹痛など、とりわけ自律神経系の不調に起因する身体症状がよく認められます。「自律神経失調症」なる身体の病気をイメージされている方が時々いらっしゃいますが、それは正式な病名ではありません。心拍や腸の動きは自律神経によってコントロールされていますが、自律神経は不安緊張の影響をとても受けやすいので、メンタルヘルス不調の症状と捉える方が理にかなっているといえます。そして、そのような場合は、動悸や腹痛などの身体症状に対しても、抗不整脈薬や胃腸薬を内服するより、抗不安薬で不安緊張を軽減することの方がより根本的な治療ということになります。
また、精神症状について見ると、ストレスフルな状況が続き、気分の落ち込みや不安が悪化し、うつ状態に至ることが多いですが、このような心因性のうつ状態は従来、「反応性うつ病」や「抑うつ反応」と呼ばれ、典型的なうつ病*とは分けて考えられてきました。これらの心因性のうつ状態の多くが、現在の診断基準では適応障害と診断されていますが、症状が軽くない場合などは「うつ病」と診断されることもありえます。診断が難しい例が少なくありませんが、適応障害では上述の通りストレス因が特定でき、そのストレス因と症状の関連性が明らかである一方、うつ病ではこうした明確な関連が必ずしも特定できない場合があります。さらに症状の経過においても違いがあります。適応障害では、休養や退職などによりストレス因から離れることで多くの場合、症状が改善します。一方、うつ病では、ストレス状況から離脱しただけでは症状が改善せず、抗うつ薬などの調整が必要になります。
適応障害との鑑別診断としては、うつ病以外にも近縁疾患であるPTSD(心的外傷後ストレス障害)があげられます。PTSDとの主な違いは、原因となるストレス因の性質の差異です。PTSDは生命の危機を感じるような重大な外傷体験が想定されています。例えば、深刻な事故、災害、暴力犯罪などが該当します。一方、適応障害は日常生活で経験し得る程度のストレス因が原因となります。とはいえ、日常で遭遇するストレス因にも程度の違いがあります。例えば職員の10人中、9人が適応不全に陥るような職場があるとすれば、それは職場環境に問題があるのであって、個人要因を洞察する意義はあまりないかも知れません。翻って、10人中、1人だけが適応不全に陥った場合は、個人の要因を検討していく必要があります。このようにストレス因の問題と個人の問題の割合にはグラデーションがあり、治療は両者のバランスを勘案しながら進めていくことになります。また、前述した除外診断の原則とは矛盾するようですが、適応障害は他の精神疾患と併存することもあります。例えば、発達障害やパーソナリティ障害などの特性(グレーゾーンを含む)を有する方が、環境の変化をきっかけに適応障害に至る場合などです。そのような場合、それぞれの特性を考慮しながら治療を進めることが重要となります。
適応障害についてみてきましたが、じつは適応障害の診断が一般的になる以前にも同様の状態を指し示す病名が存在しました。それは、かつてよく目にした「心因反応」という診断名なのですが、今ではめっきり見かけなくなりました。それらが適応障害にシフトしたことについては、適応障害の増加分から差し引いて考える必要がありそうです。また当科では常日頃からメンタルヘルス不調の教員の支援を行っていますが、その多く(約7割)が適応障害の方です。このことは教員のストレス負荷が量的にも質的にも甚大であることを物語っています。数年前に本人の問題(障害)というスティグマへの配慮から、和訳病名が適応障害から「適応反応症」に改められたそうですが、特に不調者が増え続ける職種や労働環境などに関しては、今後も本人の問題のみならず、適応が困難かつ過酷な状況にも目を向けていく必要があるでしょう。
*「内因性うつ病」とも呼ばれていました(「メンタル(心)を病むということ」を御参照下さい
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